おおもとの耳の話


【おおもとの耳の話】                    おおもと

ここまでたどっていただきましてありがとうございます。
このページは100ページもある奥の奥のページなので…。(^^;

さて、何から書けばいいのか迷ったけれど…。
まず、メルマガタイトルの「ありのまま」の通りに、はじめに、子供の頃の話、
今の心境、同じく聴覚障害者へ理解とお願いに分けて書いてみたいと思います。

メルマガ41号で、おおもとは生まれつき耳が聞こえないと書いた。

フツーの人から見れば、
耳が聞こえないというのは、とても怖いことなのかもしれない。
それを聞くとおおもとは笑ってしまう。

おおもとは、ネアカ性分とボジティブ発想の中で、聞こえない世界の
良さを知っている。

音のない世界は気持ちのいい世界。クールで清らかな世界。
よけいな声、雑音、不快音をシャットアウトし、ジブンの世界に浸れる。
空想、想像を楽しんでいられる。浸れたらこの時間はジブンのモノ。

そう。夫のイビキなんて気にならない。子供のウルサイTV番組も。
電車の中も。

おおもとの耳は生まれつきだから、中途失聴者と違い、耳のトラウマがない。
ヒトは生まれてしっぽがないのと同じ感覚。

中途失障者は、当たり前のように聞こえていた世界が突然、遮断された時は、
さぞかしつらいだろうなあと思う。

おおもとは聞こえない分、普通の人以上によく物を見る。
鋭く物を見る癖がついている。

これだけは気をつけるよう心掛けていることは、おおもとの気づかない所で
他人に迷惑な音(不快な音、大声を出すこと)を出さないようにしている。

子供の頃の話
幼少時代は、旧東京教育大学(現:筑波大学)付属聾学校小学部1年までは
そこにいた。
普通の小学校へ慣れるため、1年生をもう一回繰り返し、1年遅れのままで短大
まで卒業した。そんな訳で、手話は出来ない。

おおもとは、生まれて3歳までは、なにもしゃべれなかったような気がする。
両親の嘆き悲しみがあったのだろう。親も兄弟も正常なのに…。
若かった母の娘を見つめ悩んでいた姿を覚えている。
幼少だったおおもとは、違いがわからず、キョトンとしたまま育った。

聾学校へ毎日親に連れられて通った。そこで、初めて言葉をしゃべった。
生まれて初めてしゃべった言葉が「お・か・あ・さ・ん」だったような気がする。

家族のいる居間で、「おかあさん!おかあさん!」と何度もしゃべっては
それを聞く両親は、感動のあまり嬉し泣きしていたのが微かに記憶している。

それから「おとうさん」「ねこ」「いぬ」…と次から次へと言葉を覚えていった。

障害児を持った親は、大変な努力がいる。両親の強い愛情と根気が必要だと思う。
それと、本人の努力(普通の人の3〜10倍の努力)が必要だ。

あの五体不満足の乙武洋匡さんとご両親もサリドマイドの典子さんとご両親も
立派だと思う。

聴覚障害者で、大学の英文、音楽方面へ合格したという新聞記事を読むと、
ほほうと感心しないわけにはいかない。かなり努力しないと、それだけ難しい。

母から聞かされたことは、「障害児を持つということは神様から選ばれた親だと
思って育てた」と言った。

おおもとが人並みに結婚し、耳正常な子供2人に恵まれたことが両親にとって
涙が出るほど安心しただろう。どんなに嬉しかっただろう。


今の心境
確かに、フツーの人とは違ってハンディキャップはあったのは否定しない。
さりとて耳が聞こえないことを恨んだことはない。まあ不便だなと思ったこと
もあったが、気にはしていないまま現在にいたっている。

しかし、その反面、いいものをもらったと神様に感謝している。
それは、
楽天的な性格、強靭な精神、タフな体力、やれば出来る自信の4つ。
そして30代の人生最大どん底から克服し、積極パワーが加速し、
大きな夢(迷子札の普及)の実現に向けて楽しくかつ頑張れることである。
まさに天職そのものである。

おおもとに会うと、なぜか元気になれるとずいぶん言われます。
なぜか愚痴をこぼす相手としてちょうどいいのかもしれない。(笑)

周囲の反応はさまざまに受け止めているようだ。何かを感じているようだ。
あなたもそうでしょう。何かひっかかるものがあってこのおおもとに興味を
持って読んでくださっている。ありがとうございます。

それだけでも有り難いのです。勇気づけられます。
ますます元気をあげたくなる。おおもとパワーをあげたくなる。
たくさんあげる。与えれば与えるほどパワーをいただけることを知っているのよ。

これからのおおもとビジネス展開を見ててください。楽しみにしてください。
どんなふうにビジネスが展開していくか、ごらんください。
あとに続く女性、障害者への励ましにもつながるし、やれるのだとお見せしたい。


聴覚障害者へ理解とお願い
おおもとは誰とでも付き合える性格。が、苦手な相手がいる。

それは、早口の人、動く唇の形を見せないで話す人、声の小さい人、
声のトーンの高い人、言葉がはっきりしない人、聞きなれない言葉を発する人、
騒音な場所で話す人などである。

正直に告白すると、初対面の人や1回限りのおつきあいなら、上記のような人
だったら、もう面倒くさくてウンウンとわかったふりをして切り抜けている。
ソフトにあいづちを打ってごまかしている。ほんとはいけないんだけどね。

ただ、ビジネスと勉強は別で、しっかり聞き、わからない時は必ずオウム返しを
します。

逆に、こちらの事情を言わなくても、おおもとが相手の口元を見て理解しようと
していることにすぐ気づく人である。
この方は、身近に聴覚障害者がいるか、福祉関係か、関心のある人である。
そういう方と出会うとおおもとは、「ほうーッ」と感心して嬉しくなってしまう。

あなたも、身近にそういう方が、あなたの口もとを見て理解しようとしていたら、
間違いなく、聴覚障害者だとみてよい。

さすがわかる人というのは、話がしやすいし、心が広いし、自然な会話が出来る。

福祉関係の人って心のきれいな人が多いような気がする。
結婚相手としておすすめである。(余談)

普通の人が、当たり前のように空気のようになんでも聞くことは出来るが、
障害者の場合は、まず、聞く準備を構えてから聞くので、ワンテンポ遅れる。
ほんのささいな努力を要するのである。

聞くということは、気合が入るし、疲れる。
フツーの人が英語を習う聞くだけでも骨が折れる感覚と似ているかもしれない。
上に書いたように、聴覚障害者にとって語学、音楽を学ぶというのは、さらに
至難のわざなのである。



補聴器の話をしよう。

ある人が耳が遠くなったので、補聴器をプレゼントしようと考えるのはやめた方がいい。
というのは、補聴器をプレゼントすれば、すぐ聞こえて便利と思うのは、早計。

眼鏡だって、遠視用、乱視用、近視用と分かれているのと同じように補聴器も本人に
あった補聴器でないとダメである。合わない補聴器の方がずっと多いのだから。

買うのなら、本人の耳にあわせてじっくり選びたい。

ご参考までに、おおもとの耳かけ式補聴器はドイツ製で、毎日使って16年経つが、
何回も落としてもビクともしない補聴器である。


「人の最後は誰でも中途障害者になるのだから。」という言葉を聞いた。
なるほどと思う。

長くなってしまいましたが、最後までお読みいただきましてありがとうございます。
何か気づきがございましたら、メールをください。必ずお返事をいたします。
メール pet@petmedal.net


2003年10月15日記

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